はじめに

もし今、この記事にたどり着いたのだとしたら、まず何が起きていて、どんなことを順番に考えていけばいいのかを、一緒に整理していけたらと思います。

私自身、亡くなった直後は、何から手をつければいいのか分かりませんでした。頭では「何かしなければ」と分かっているのに、体が動かないです。考えがまとまらないです。そんな状態のまま、時間だけが過ぎていきました。

この記事は、当時の私がどう感じ、何に迷ったかを書いたものであって、こうすべきだという手順書ではありません。今、同じような状態にいる人が、少しだけ気持ちを軽くできたらと思って書いています。

水面に咲く一輪の睡蓮

あのときのこと

気づいたきっかけ/出来事の始まり

その瞬間のことは、今でも断片的にしか思い出せません。目の前で起きたことのはずなのに、記憶がところどころ抜け落ちています。

気づけば部屋の中は静かで、いつも聞こえていた気配がありませんでした。何をどう受け止めればいいのか分からないまま、ただその場に座り込んでいた時間がありました。

誰かに連絡しなければ、とは思います。けれど、何を、誰に、どんな言葉で伝えればいいのか、まったく分かりませんでした。スマートフォンを手に取っても、画面を見つめたまま指が動かないことが何度もありました。

そのときの気持ち・迷い

放心状態、という言葉が近いのかもしれません。感情が動いていないわけではなく、むしろあふれているのに、それをどう扱っていいか分からない状態でした。

「もっとできることがあったのではないか」という思いが、繰り返し浮かんできました。あのときこうしていたら、もっと早く気づいていたら。最期の瞬間のことも、繰り返し頭に浮かんでは消えていきました。そうした問いに答えは出ないまま、頭の中を同じ言葉がぐるぐると回っていました。

一方で、生活は止まってくれません。連絡すべき人がいる、決めなければならないことがある、と分かっていながら、何一つ手につかない自分に対して、さらに戸惑いを感じていました。急がなければ、という焦りと、何も考えられない、という麻痺したような感覚が、同時に自分の中にありました。

私が考えたこと、迷ったこと

まず迷ったのは、誰に、いつ連絡するかということでした。近くにいる家族に伝えるべきか、少し時間を置いてからにするか。正解が分からないまま、そのときの自分の状態に任せて決めるしかありませんでした。

火葬や供養の方法についても、すぐに答えを出せる状態ではありませんでした。世の中には決めなければならない期限があるように感じてしまい、それがさらに自分を追い詰めました。実際には、その日のうちに手配しなければならないことばかりではなかったのだと、後になって知りました。

私の場合は、まず家族に連絡を取り、状況を伝えるところから始めました。何かを決断する前に、家族と今の状態を話し、相談しながら一つずつ決めていくことで、少しだけ考える余地ができたように思います。それでも、迷いながら決めていくしかありませんでした。今振り返っても、あのときの自分にもっと早く答えを出せたはずだとは思いません。あの状態では、それが精一杯だったのだと思います。

決めなければならないことは、思っていたよりも多くありました。誰にいつ伝えるか、どんな形で見送るか、いつまでにどこへ連絡するか。一つひとつは小さな判断でも、それが重なると、どこから手をつければいいのか分からなくなりました。順番を間違えているのではないか、大事な何かを忘れているのではないか、という不安もありました。

そんなときに助けになったのは、すべてを一度に決めようとしないことでした。今日決められることと、まだ決められないことを、無理に一緒くたにしなくてもいいです。そう思えるようになるまでにも、少し時間がかかりました。周りのペースに合わせようとして、余計に自分を追い詰めていた時期もあったように思います。

今の私なら: 決めることを「今日決めること」と「あとで決められること」に、まず分けると思います。あの状況ですぐに線を引くのは難しかったのですが、分けて考えるだけでも、少しは楽になれた気がします。

窓からやわらかく差す光

今、振り返って思うこと

当時の自分に何か言葉をかけられるとしたら、「今、何も決められなくても大丈夫」だと伝えたいと思います。

あのときの私は、判断できない自分を責めていた部分がありました。周りは何かしら動いているように見えて、自分だけが立ち止まっているような感覚がありました。でも、今振り返ると、あの状態で普段どおりに物事を進められる人の方が少ないのではないかと思います。

一つずつ確かめながら進めたことは、今の自分にとって間違いだったとは感じていません。それでも当時は、これでいいのか分かりませんでした。分からないまま、手探りで進んでいました。

何かを決めるたびに、これでよかったのだろうかという思いがついてまわりました。今もその問いに、はっきりとした答えは持っていません。ただ、当時の自分なりに考え、迷いながら選んだことだったという実感だけは残っています。それで十分なのかもしれない、と今は思っています。

もし今、同じ状況にいる人がいたら

もし今、何も考えられずにいるとしたら、それは決しておかしなことではないと思います。誰かと比べて自分の状態を測る必要はありません。一つずつでいいです。今日決められないことは、明日に持ち越してもいいです。決めるのは、あくまであなた自身のペースでいいです。

放心状態が続いていたり、自分を責める気持ちが強く、生活そのものがつらく感じられているときは、一人で抱え込まず、かかりつけの獣医師や、公認心理師などによるカウンセリング機関、自治体の相談窓口といった専門的な窓口に話をしてみることも、選択肢の一つとしてあってよいと思います。私自身、そうした窓口の存在を知っておくだけでも、少し気持ちが軽くなった記憶があります。

空に広がる雲の様子

おわりに

この記事に書いたのは、私一人の経験であって、誰にでも当てはまる正解ではありません。同じ状況でも、感じ方も、進み方も、人によって違うはずです。

もし少し落ち着いて、火葬や供養について整理して考えられそうなときが来たら、次の記事も読んでみてほしいと思います。また、時間が経ってからふとした瞬間に涙が出るようなことがあれば、そのときの気持ちについて書いた記事もあります。必要なときに、読んでもらえたらと思います。