はじめに

もし今、涙が止まらない状態が続いているとしたら、まずそのことについて伝えたいことがあります。涙を止めようとしなくていい、ということです。

無理に泣きやもうとしなくていい、感情を抑え込まなくていいです。そう言われても、今のあなたがどんな状態にあるのか、私には分かりません。ただ、涙が出ること自体を、悪いことのように扱わなくていいと思っています。

この記事は、私が涙の止まらない時期に何を決め、何を決めずにいたかを書いたものであって、こうすれば涙が止まる、という方法を示すものではありません。同じような時間を過ごしている人に、少しでも参考になる部分があればと思って書いています。

雨が伝う窓辺の風景

あのときのこと

気づいたきっかけ/出来事の始まり

見送ってからしばらくの間、私は自分でも驚くほどよく泣きました。朝、目が覚めた瞬間に涙が出ていることもあれば、何の脈絡もなく、ふとした瞬間に涙があふれることもありました。

家事をしている途中、テレビをつけたとき、道を歩いているとき。理由らしい理由が見当たらない場面でも、気づくと頬が濡れていました。涙は予告なくやってきて、私の意思とは関係なく流れました。

最初のうちは、人前ではなんとか堪えられていました。けれど日が経つにつれて、堪えることそのものが難しくなっていきました。堪えようとすると、余計に息が詰まるような感覚があり、涙だけが先に出て、感情が後から追いついてくるようなこともありました。

止めようとすればするほど、余計に涙が出るような感覚がありました。そのうち、止めようとすること自体をやめました。泣きたいときは泣く、というより、泣くことを選べるような段階にすら、当時の私はいなかったのだと思います。涙が出ることに、理由をつけて説明しようとするのもやめました。

そのときの気持ち・迷い

こんなに泣いていて、いつか終わるのだろうかという不安がありました。同時に、この状態のまま何かを決めなければならないことへの戸惑いもありました。

見送った後には、遺品をどうするか、供養の形をどこまで詰めるかなど、決めるべきことがいくつも残っていました。頭のどこかで「早く片づけないと」という声がしました。片づけることで、何かが前に進むような気がしていたのかもしれません。

けれど実際には、涙が止まらない状態で何かを決めようとすると、決めたそばから不安になりました。これで良かったのか、もっと考えるべきだったのではないでしょうか。そうした問いが、決めるたびについてまわりました。

私が考えたこと、迷ったこと

遺品の整理について、私はしばらくの間、手をつけませんでした。何を残し、何を片づけるか。その判断を、涙が止まらないまま下すことに、強い抵抗があったからです。

周りからは、それとなく「そろそろ」という空気を感じることもありました。誰かが言葉にしたわけではありませんが、片づいていない部屋を見るたびに、自分の中で急かされているような気持ちになりました。

それでも私は、遺品にはしばらく触れないことに決めました。正確には、決めたというより、触れられなかった、というほうが近いかもしれません。供養の細部――どんな形にするか、どこまで整えるかといったことも、同じように保留にしました。

保留にすることに、はっきりとした根拠があったわけではありません。ただ、涙が止まらないまま何かを判断すると、後になって「あのとき、本当はこうしたかったのに」という後悔が残りそうな予感がありました。だから、判断できる状態になるまで待つ、という選択を取りました。

その間、何もしていないような後ろめたさを感じることもありました。手続きを進めている人、気持ちを整理して前に進んでいるように見える人と、自分を比べてしまう瞬間もありました。それでも、涙が止まらないままの状態で無理に判断を下すことよりは、決めずに待つほうが、自分には合っていたのだと思います。

今の私なら: 「決めない」ということも、その時々の自分にとっては一つの選択だったのだと思います。当時はそれを選択だとすら思えず、ただ立ち止まっているだけのように感じていましたけれど。

保留にしている間も、涙は変わらず出続けました。何かを決めれば涙が減るわけでも、決めなければ涙が増えるわけでもありませんでした。涙と、決めることとは、別々の時間の流れの中にあったのだと、今は思います。

灰色に広がる曇り空

今、振り返って思うこと

結果として、遺品の整理も供養の細部も、私は数ヶ月かけて少しずつ決めていきました。もっと早くに決めていたら良かったことも、悪かったことも、今となっては比べようがありません。ただ、あのとき保留にしたことで、何か困った出来事が起きたわけではなかった、ということだけは言えます。

涙が止まらない状態のまま何も決めずにいたことを、今の私は間違いだったとは思っていません。むしろ、決めなかった時間があったからこそ、後になって自分なりに納得できる形で決められた部分もあったように感じています。

涙についても、いつか完全に止まる日が来るのだろうと当時は思っていましたが、実際にはそうではありませんでした。折り合いがついたと感じられるようになった後も、今でもふとした拍子に涙が出ることがあります。それでも、以前ほど涙そのものに戸惑わなくなった自分がいます。

もし今、同じ状況にいる人がいたら

私自身は、涙が止まらないあいだ、遺品のことも供養の細部のことも、その日のうちに片づけようとするのをやめました。今日答えを出さなければならない理由が見つからないものは、いったんそのままにして、自分の心が動くのを待ちました。

もし涙が止まらないことに加えて、眠れない日が続いていたり、食事がほとんど喉を通らないといった状態が続いているようであれば、一人で抱え込まず、公認心理師などによるカウンセリング機関や、自治体の相談窓口といった専門的な窓口に話をしてみることも、選択肢の一つとしてあってよいと思います。涙そのものは悪いものではありませんが、心と体の状態が心配なときは、話を聞いてもらえる場所があることを知っておいてほしいと思います。

やわらかい光が差す情景

おわりに

涙が止まらない日々を、私はどうにか終わらせようとするのではなく、ただ過ごすしかありませんでした。何かを決めないまま時間を過ごすことに、罪悪感のようなものを覚える瞬間もありましたが、今振り返れば、それも含めてあのときの私に必要な時間だったのだと思います。

この記事に書いたのは、私一人の経験であって、誰にでも当てはまる正解ではありません。涙の量も、続く期間も、決めるまでにかかる時間も、人によって違うはずです。もし今、涙が止まらない中で何かを決めることに迷っているなら、決めないでおくという選択肢も、あなたの手の中にあると伝えたいと思います。