はじめに

「ペットロス いつまで続く 普通」。この言葉で検索したことがある人に、この記事は向けて書いています。私自身、同じ言葉で何度も検索したことがあります。知りたかったのは、たぶん自分がどこにいるのか、という位置のようなものでした。

先に書いておくと、この記事は「いつまで続くか」の答えを提示するものではありません。むしろ、調べれば調べるほど、画一的な答えは見つからなかった、という話をしたいです。それでも、調べる中で分かったことはいくつかありました。この記事では、私自身がその言葉を検索したときのことと、調べて分かったこと、そして今、判断に迷ったときにどう考えているかを書いてみます。

海と空が交わる水平線

「いつまで」を検索していた頃

うちの子を見送ってからしばらく経って、私は「ペットロス いつまで続く」という言葉で検索したことがあります。理由は単純で、今の自分の状態が、この先どうなっていくのか、見当がつかなかったからです。

日常に戻ろうとしても、ふとした瞬間に涙が出ることがありました。それが数週間続いたとき、私は「これはいつまで続くものなのか」を知りたくなりました。終わりが見えないことへの不安だったと思います。あとどれくらい耐えれば楽になるのか、目安のようなものがあれば、少しは気持ちが違うのではないかと思っていました。

検索して出てきたページには、いくつかの期間が書かれていました。数週間で落ち着くという話もあれば、数ヶ月かかるという話もあり、数年単位で続くという話もありました。数字はばらばらでした。私はその中から、自分に都合のいい数字を探そうとしていたように思います。「早く終わる」と書かれたページを見つけると少し安心し、「長引くこともある」と書かれたページを見ると不安になりました。結局、どの数字を信じればいいのか分からないまま、検索を終えることを何度も繰り返しました。

検索を繰り返していたある日、ふと気づいたことがありました。私が本当に知りたかったのは、正確な期間の数字ではなく、「今の自分は、この状態のままでいてもいいのか」ということだったのではないか、ということでした。数字を探すという行為の裏側に、そちらの問いが隠れていたように思います。

私自身の場合、日常に一応の区切りがつくまでにはおおむね1年ほどかかったように思います。ただ、それで悲しみが終わったということではなく、今でもふとした拍子に涙が出ることがあります。「区切りがついた」ことと「今も涙が出ることがある」ことは、私の中では矛盾せず、同時に存在しています。当時、検索して出会った数字のどれとも、私の経験はぴったり一致していなかったです。それでも、一致していないからといって、自分がおかしいわけではなかったのだと、今なら思えます。

期間より、今の状態で考えること

調べれば調べるほど、「普通はこのくらい」という答えは見つからなかったです。それを最初は少し物足りなく感じました。目安があれば安心できると思っていたからです。

けれど、いろいろな情報に触れるうちに、目安がないことそのものが一つの答えなのかもしれない、と思うようになりました。誰かの経験を数字に置き換えて、自分に当てはめようとすること自体が、そもそも無理のあることだったのかもしれません。

今の私なら: 「いつまで続くか」を知ろうとするより先に、今日一日、自分がどんな状態でいるかを見てみると思います。答えを外側に探すより、そのほうが今の自分には合っている気がします。

今も、何かの拍子に涙が出ることはあります。それを「まだ続いているのか」と捉えるか、「そういうものなのだ」と捉えるかは、日によって違います。どちらの捉え方が正しいということもないのだと思います。ただ、期間の長さで自分を測ろうとする癖が、以前より少しだけ減った気はしています。

森の中に続く小道

おわりに

「ペットロス いつまで続く 普通」という言葉で検索していたときの私に、今の私が何か伝えられるとしたら、それは「答えは見つからないかもしれない」ということです。ただ、それは調べたことが無駄だったという意味ではありません。画一的な基準がない代わりに、個人差が大きいということ、悲しみは形を変えていくものだという考え方があること、そして期間よりも今の状態を見てよいのだということは、調べて分かりました。

もし今、同じ言葉を検索している人がいたら、期間の数字に振り回されすぎなくてよいと思います。それよりも、今の自分がどんな状態にあるかに、少しだけ目を向けてみてほしいと思います。