はじめに

同じ家で暮らし、同じ子を見送ったはずなのに、悲しみ方は家族の中でも一人ひとり違っていました。当時の私は、そのことにどう向き合えばよいのか分からず、戸惑うことがありました。これは、家族の誰が正しくて誰が間違っているという話ではありません。もし今、家族の間で悲しみ方の違いに戸惑っている方がいたら、一つの経験として読んでいただければと思います。

ウッドデッキで横たわる犬(全身)

あのときのこと

涙の量が違ったこと

一緒に暮らしていた犬を見送った直後、私はしばらくの間、涙が止まりませんでした。けれど、同じ家にいる家族の中には、表向きはいつもと変わらないように振る舞っている人もいました。

最初、私はそれを見て、少し戸惑いました。同じ子を見送ったはずなのに、どうしてそんなに落ち着いていられるのだろうかと、正直なところ思ってしまったこともあります。悲しんでいないのではないか、とすら感じた瞬間がありました。

食事の場でその子の話題が出ても、いつも通りの会話を続けようとする家族の姿を見て、自分だけが取り残されているような気持ちになったこともありました。同じ空間にいるのに、悲しみの温度だけが違っている。そのずれをどう受け止めればいいのか、当時は分からないままでいました。

悲しみの表し方が違ったこと

しばらく経ってから分かったのは、涙を見せないことと、悲しんでいないことは、必ずしも同じではないということでした。家族の中には、一人になったときにだけ涙を見せる人もいましたし、その子の話題を避けることで、自分なりに気持ちを保とうとしている人もいたようでした。

反対に、私自身はその子の話をすることで気持ちを落ち着けようとするタイプだったので、話したがらない家族の様子に、寂しさを感じることもありました。悪気があってのことではないと分かっていても、同じ悲しみを分かち合えていないような感覚が、しばらくの間ありました。

その頃の私は、家族に対して「どうしてもっと悲しんでくれないのか」という気持ちと、「自分だけがいつまでも引きずっているのではないか」という気持ちの、両方を同時に抱えていました。家族の中にいながら、悲しみについては一人で処理しているような感覚があったことを覚えています。

庭の芝生に伏せる犬

よく聞かれること・自分でも考えたこと

悲しみ方が違うのは、冷たいということなのか

そう感じてしまう瞬間が、当時の私にもありました。けれど今は、そうではないと思っています。悲しみの表し方は、その人がそれまで培ってきた気持ちの扱い方によって違うものであって、涙の量や表情の変化だけで、悲しみの深さを測ることはできないのではないでしょうか。静かに悲しむ人もいれば、言葉にして悲しむ人もいる。どちらが冷たい、どちらが深いということではないと、今は感じています。

悲しみ方の違いと、どう折り合いをつければよいのか

はっきりとした答えを、私は今も持っていません。ただ、当時の私が助けられたのは、相手に自分と同じ悲しみ方を求めることをやめてみたときでした。相手が話したがらないなら、話さないことを尊重する。自分が話したいときは、話を聞いてくれる別の相手を見つける。家族全員で同じように悲しむことを目指すのではなく、それぞれのやり方を認め合うことのほうが、結果として楽になった部分がありました。

一致させようとすればするほど、かえって家族の間がぎくしゃくすることもありました。悲しみ方を合わせることよりも、それぞれの悲しみ方があることをお互いに知っておくことのほうが、長い目で見ると大切だったのではないかと、今は感じています。

家族の中で気持ちがすれ違ったとき、どうしていたか

当時の私は、無理に相手の気持ちを聞き出そうとはしませんでした。代わりに、その子の写真を家族が見える場所に置いておいたり、命日には特に何も言わずとも、家族それぞれが自然とその日を意識できるようにしたりしていました。言葉で気持ちを一致させようとするよりも、それぞれが自分のペースで思い出せる環境を作ることのほうが、私たちの場合には合っていたように思います。

今、思うこと

今振り返ると、家族の間で悲しみ方が違っていたことは、家族の絆が薄かったということではなかったのだと思います。むしろ、それぞれがそれぞれのやり方で、その子のことを大切に思っていたのだということが、時間が経ってから少しずつ見えてきました。

当時は気づけませんでしたが、涙を見せずにいた家族も、後になって自分なりのタイミングでその子の話をするようになった場面がありました。悲しみを表に出すタイミングも、人によって早い遅いがあるだけで、いずれ表れてくるものなのかもしれないと、今は思っています。

もし、家族の誰かの様子がいつまでも極端に沈んでいたり、日常生活に支障が出るほどの状態が続いていたりするようであれば、家族内だけで抱え込まず、公認心理師などの専門家や、お住まいの自治体の相談窓口に話を聞いてもらうことも、選択肢の一つとしてあってよいと思います。

落ち葉の積もった公園の二つのベンチ

おわりに

家族のあいだで悲しみ方が違うことは、珍しいことではないのかもしれません。もし今、同じような戸惑いの中にいる方がいたら、相手の悲しみ方を無理に自分と同じにしようとしなくてもよいのではないかと、私は思っています。それぞれのやり方があってよいのだと、今の私はそう感じています。

同じ家で暮らし、同じ子を見送った家族だからこそ、悲しみ方の違いに気づきやすく、戸惑いも生まれやすいのだと思います。それでも、その違いは家族としての結びつきを否定するものではないと、今の私は受け止めています。